タイがお好きだった五味先生を偲ぶ


~日タイ租税条約の1990年改定時のエピソードと最近の動向を踏まえて

タイがお好きだった五味先生を偲ぶ

去る5月11日、元大蔵省国税審議官、五味雄治氏のご葬儀が築地本願寺でしめやかに行われた。久しぶりに見る日本の5月晴れの薄暮から始まったご葬儀に、当日の多くの参列者に混じって、筆者ほか、筆者の所属する事務所の日本人、及びタイ人の会計士並びに弁護士諸君も、ご焼香を上げさせて頂いた。折しも5月11日は、中央青山監査法人が金融庁から業務停止命令が出された翌日であった。

五味氏は、プライスウォーターハウスクーパース・マネジメント株式会社という同監査法人のグループ会社の会長という肩書きもお持ちである。

実に、中央青山監査法人は、まだ、中央新光監査法人と名乗っていたころ、筆者が勤務していた監査法人である。ことの端緒とされる粉飾決算事件で引責辞任した同法人の上野元理事長と、偶然にもご会葬の席で邂逅を得たのは、何かの縁と思わざるを得なかった。上野氏は、筆者がバンコク駐在していたころの直属の上司であるし、中央クーパーズ・アンド・ライブランド・コンサルティング会長(当時)であった五味氏も,筆者の上司の一人であったからである。

五味氏が、こと国際租税に関して、わが国の第1人者であることは論を待たない。国税庁内に、大蔵省(当時)事務次官に対しての財務官といったほどの意味で、国際租税担当の審議官というポストを設けることとなったのは、五味氏の処遇を考慮してのことだと仄聞する。以来、国際租税関係で使用される用語の「権限ある当局」は、この審議官を指すものと解されるようになった。

国際租税分野で最も権威があるものは、OECDの租税委員会(Committee on Fiscal Affairs)といわれる。租税条約の教典とも言うべきOECDモデル条約は、この委員会が作成報告するものである。

この委員会には、常設の民間の諮問機関がある。経済産業界諮問委員会(BIAC=the Business and Industry Advisory Committee to the OECD)の租税委員会(tax committee)がそれである。OECD租税委員会は現役の各国のお役人からなる組織であるが、BIAC租税委員会は、その主要メンバーであった官僚が退官後に集う体裁の諮問機関となっている。五味氏は長くその副議長をされてきた。そのことからも、氏が世界で認められる斯界の権威であったことが伺える。

実は五味氏は、タイとは浅からぬ縁を持つ方であった。また、日本人バンコク商工会議所とも、現行の所謂「日タイ租税条約」に改定されるまで、氏の現役時代から様々な交流を通じて、深い縁があったものである。(1)

私事になるが、不甲斐ない筆者が異国の地、バンコクで、こうして事務所を構えられるのも、氏のお陰に他ならない。

一方、監査法人や会計士の不祥事のニュースがかまびすしい中、タイの企業に勤務する駐在員の方々も、会計士監査について、一定の不安をお持ちではないかと察する。すべての会社に会計士監査を要求するタイの制度振りを考慮すればなおさらであろう。主にタイにまつわる五味氏の功績を懐かしみながら、最近のタイの課税行政を概観し、さらに日本・タイとの比較においての会計士監査について私見を述べたいと思い立った所以である。

現行の「日タイ租税条約」が27年ぶりに改定されたのは、1990年のことであった。今となっては、当たり前の条約の規定振りであり、タイ国内法の度重なる減税の結果、条約中の低減税率にかかる事項が無意味になった点などに留意するならば、現行の「日タイ租税条約」は、むしろ、オールドファッションなものと位置づけられるものなのかもしれない。加えて、恒久的施設の規定のいくつかが、UNモデル条約の影響下に設けられている点、議定書で利益送金税という「追いかけ課税」について、具体的条項を示して追認している点。(2)、多くの日本人の年金生活者がタイにロングステイしている昨今、退職年金等に係る規定振りが現状に馴染まない嫌いがある点等々、数多くの問題を抱懐している条約といえるかもしれない。更なる改定が検討されていると仄聞するが、尤もなことであろう。しかし、当時、日本からしても、この「日タイ租税条約」改定は、極めて画期的なことであった。

「日タイ租税条約」改定の要諦については、当時、広くお手本とされたOECDモデル条約1977年版を参考に改正されたこと、特に恒久的施設の利得について、帰属主義を採用した点が強調されるのが一般であろう。

承知している方にはくどい解説となるが、「帰属主義」とは、外国法人である企業の利得について、自国の課税管轄権がどこまで及ぶのかを検討する重要な論点である。例えば、日本の内国法人(本店所在地主義を採っている以上、本店所在地が日本国内にある法人をいう)が、その事業活動をタイ国内で行っており、そこから生ずる所得を得ているとき、又は、タイ源泉所得(と思われるような)(3)。所得を得ているとき、これらの所得について、タイで課税されるのかを判ずる必要がある。例えば、日本の内国法人がタイに所在するタイ内国法人に物品を輸出したとする。その際に得られる日本の内国法人の輸出売上に係る所得は、タイで法人所得税の納付が求められるか。常識は、輸出先の国で法人税納付など、聞いたことがないと教えるが、これを的確に説明することは、案外と難しい作業である。その際に持ち出される概念の一つが「恒久的施設」であり、さらに、当該日本の内国法人のタイに関連する所得のうち、その所得の範囲を決定する基準の一つが、帰属主義である。現行の日タイ租税条約によれば、タイで課税される所得は、タイに恒久的施設を当該(タイから見ての)外国法人が有しており(恒久的施設基準)、さらに、その恒久的施設を通じて得られる所得に限る(帰属主義)とする。この規定振りは、現在、国際租税の分野においては、一般的な常識的なものといえる。

しかし、改定前の旧条約によれば、条約内では帰属主義を是認する規定振りでありながら、交換公文で、「その恒久的施設によって通常行われている活動すべての利得を」「反対の証明がなされない限り」その恒久的施設に帰属する所得としてみなす旨が置かれていて、総合主義のような効果を持つものであった。

しかしながら、当時、租税条約改訂に際しての最大の論点となったのが、「みなし外国税額控除(以下、みなし外税控除)」に係る規定部分であった。

旧条約にも、みなし外税控除に係る規定は設けられていたが、その所得税減免の起因となるいわゆる投資奨励法については、「タイの1962年(仏暦2505年)の産業投資奨励法第19条(4)及び第35条の規定」と具体的な法律名を記述して規定されていた。ところが、1972年に同法は廃止され、1977年、新たに「1977年投資奨励法」が施行され、若干の改訂を経て今日に至っている。その結果、旧条約下ではみなし外税控除が機能しない弊害が見られたのである。当時は、1985年プラザ合意以降、にわかに日本の対外直接投資が増えたときであった。ここタイは、その中でもとりわけ日系企業数が急増した国である。さらに、当時のタイはチャチャイ首相の下、外資誘致による途上国からの離陸は、国是であった。この背景の中、外資誘致の目玉である「みなし外税控除」が使えないというのは、特にタイにおいて大問題であったのは、言うまでもないことである。

この間の事態を了解するには、外税控除に関する若干の理解が必要かもしれない。

そもそも外税控除は、一般に源泉地国課税権と居住地国課税権との適正な配分に帰するものである。適正の判断は、受益原則(benefit principle)と資本の輸出中立基準(capital export neutrality)で検討される。ここで、細部については言及しないが、結果として外税控除は、納税義務者の租税負担が軽減される意図に出た制度ではなく、居住地国課税権を重視して、その課税権を限度として、二重課税負担を避けることを意図するものである。技術的にいえば、居住地国において(無制限納税義務者として)総合課税を行う際に、源泉地国において課税された税金(外国法人税)を控除して二重課税を避ける体裁である。

ところが、投資奨励法によって免税恩典を享受している場合(4)、関係する所得についてタイでの課税は一切生じない。例えば、配当を日本の親会社にタイの免税恩典企業が送金するとき、30%の法人所得税も、10%の源泉徴収税も生じないこととなる(5)。この場合、既述の外税控除制度をそのまま適用すると、居住地国たる日本で控除すべき外国法人税がないのだから、日本での総合課税の計算のときに、控除すべき税金がない。結果として、折角、タイ政府が外資の呼び水として制度化した投資奨励法による免税措置にもかかわらず、(居住地国課税権に服する)納税義務者の租税債務に変化はなく、日本政府の歳入が増加するだけとなってしまい、タイ政府の意図は無為に帰してしまう。

これをタイ政府の意図の実現を考慮して是正したものが、「みなし外税控除制度」である。

これによれば、タイで免除された税金(所得税に限る)のすべては、日本の当該所得収受者の法人税計算の上で、すでにタイで納付されたとみなして控除計算することとなる。そうすれば、免税恩典により実際には納税が行われないにもかかわらず、日本で外税控除ができるのであるから、ここで初めてタイの恩典措置(6)は意味を持つ結果となるのである。

旧日タイ租税条約では、既述の理由で、このみなし外税控除が機能していない状況であったわけであるから、外資導入を急ぐタイ政府にとって、租税条約の改定は緊急の議案であったことがよく了解されると思う。これは一方で、とくに、すでにタイに進出していた日系企業にとっても、同じことであった。折角の免税措置が、親会社で機能しないからである。

ここで問題となるのは、みなし外税控除の復活については、日本、タイ両当局に問題を見ないとしても(最終的に恩恵を受けるのは、日本の親会社=日本の内国法人であるので、日本の国税当局=日本政府としても原則的に賛同することに異議はない)、これを遡及的に適用するかについてである。当時のタイ政府の意図は、1977年、現行法となった時代まで遡及適用し、租税条約に基づく「みなし外税控除」の適用に穴がないようにしたいということであったとされる。

この遡及適用に関しては、各者の思惑は異なった。タイ政府当局は、比較的に、積極的であったようである。「比較的に」といったのは、遡及適用に関して、タイ政府にことさらな利益をもたらすべきものではないからである。いずれにせよ、過去の分について、例えば配当所得が収受された親会社の方において、みなし外税控除適用のあるなしにかかわらず、タイでは免税とするからである。一方、日本政府においては、これは明らかに、遡及は困るというものであったことは想像に難くない。すでに親会社側で日本政府に納税されていた分の返還問題が生じるため等である(7)。

さらに、当時すでにタイに進出していた日本企業においては、これは明らかに、遡及適用を是認して欲しいというものであった。過去の日本での納税分の返還請求が可能となるためである。さらに、タイの子会社の業績が好調であって、過去の所得からなる配当原資が子会社に累積しているような場合には、遡及適用を待って配当を送金しようか、とする機運もあった。これらは、相当に強い要求であったかと察せられる。

この困難な調整に、各方面の意を受けて動いたのが、五味氏であった。その際には、バンコク日本人商工会議所の主要メンバーの協力をも受けて、各方面に働きかけたのである。

五味氏は当時すでに退官していたが(1984年退官)、日本の国税庁の現役のお役人(当時)からも強い信頼を得ており、また、何より、タイ当局の大蔵省のパナス次官、バンディット歳入局長、ヴィット前歳入局長(8)(肩書きはすべて当時)から多大な尊敬を得ていたことが、結果として、現行の4年間遡及となって結実したものと思われる。さもなければ、各者各様の当然な理由を持って対立がある中、新条約締結には、更なる時間を要しただろうと怪しまれるのである。

ヴィット氏から聞き及んだことがあるが、五味氏との交流が深まったのは、主に、スガタミーティング(9)であったそうである。多くの会議で、五味氏が議長を務められたが、その際に、当時まだ途上国であり発言力に乏しかったタイ当局を、公平に、それはそれは大事に扱われたそうである。歴代の歳入局長の中でもとりわけヴィット氏は、租税の専門家として著名である。タイで租税の専門家であれば、大抵の者が利用する英文の歳入法典「the Revenue Code」の著作者として記載されるV.T.AssociatesのV.Tとは、このヴィット氏に他ならない。フランスで学んだ氏は、タイきっての租税条約通であり、そのこともあって、五味氏とは気が合ったのかもしれない。

新条約交渉も終わった1991年の9月くらいだったかと思う。五味氏がプライベートに訪タイされ、筆者はこれにお供した。タイでは、いよいよVATが施行されようとしていた。その時に、既述の諸氏をはじめとするタイ当局の方々と夕食を共にする機会に恵まれたが、その時に、パナス氏(次官を経て、すでに大蔵大臣になられていたかと思う)から、彼がVAT法案の起草の中心者だ、と紹介したのが、まだ若きスパラット課長(現次官)であった。僕なぞは歯車のひとつです、と苦笑して応答されていたのが昨日のようである。

バンコク日本人商工会議所の大井金融財政部長(当時。東京銀行のバンコク支店長であった)からのご依頼で、筆者が、VAT法の邦訳や、セミナーをおこなった際、スパラット氏の全面的な協力を得ることができた大きな理由の一つが、この縁である。特に、VAT施行の前夜、1991年12月26日、バンコク日本人商工会議所、金融財政部会の主催で開催されたセミナーに(当時、様々な組織がVATセミナーを開催し、導入される得体の知れないVATにあれこれ憶測を交えて、雑多な情報を流していた)、とに角、法案を直接指揮担当したスパラット氏に来ていただき、会員からの様々疑問にも直接答えていただいたらどうか、との筆者の提案が賛同を得て、これが叶えられたのは、我田引水で恐縮であるが、大成功を収めたものであった。これも、五味氏の口添えがあったからこそ実現できたものである。

五味氏は、その後も、何度か訪タイされ、バンコク日本人商工会議所との縁で申しあげれば、1997年4月に、バンコク日本人商工会議所協賛のタックス・セミナーに、ゲストスピーカーとして講演される予定であったのが、直前に体調を壊され、氏は代わりに知人の本庄資氏を指名されてセミナーが無事終了したことが思い出される。

さて、話題は転じて、最近、特に4月以降、歳入局の税務調査が厳しいということをそこここで仄聞する。筆者も、長くタイで様々な税調を見てきたが、これほど厳しい状況は始めてである。各税務署での課税執行行政はともかく、本庁のLTO(大規模納税者部局)における執行にまで、ちょっとどうかと思われる次第が散見される事態は、知る限り、過去にはなかった。

筆者の仕事柄、このような現状は、業務が増えてうれしかろう、とのお叱りもありそうだ。しかし、意味なく虫歯患者が急増して、実際のところ、欣喜雀躍する歯医者は、専門家として、その料簡が疑われて当然である。賦課課税制度の前に、その他のすべての論理がお辞儀をするような現状には、筆者も空漠たる気分を持つものである。タイの歳入局に愛着を持ち続けた五味氏に、この状況を尋ねたら、何とおっしゃるか、ふと考えることがある。

日系企業には、次のことを述べておきたい。タイも租税法律主義である。一定の業界の料率を尺度に、課税所得を増額するとか、過去の欠損金を0とするといった指導があると仄聞する。しかし、いかに賦課決定制度下の租税であっても、これは濫用の嫌いなしとはしない。大抵の場合、賦課決定が行われるのではなく、当局はプリオーディット(事前的調査)といった用語で語られる、自己修正申告を勧める所以である。であれば、徒にこれに従う必要はない筈であろう。

一体、日本人の責任者が当局に出向くことに反対する意見が少なくない。しかし、タイ人のスタッフや外部の専門家に任せることなく、日本人責任者が自分で説明する方が、当局に対しても説得力が増し、公平な結論が出ることが余程多いと私見する。外部専門家の助言は、あくまで助言として聞くべきと思っている。

最後に、最近の日本の公認会計士業界の状況について、若干、私見を記すのを許していただきたい。

金融庁の命令ないし指導は、最初は、筆者も過去に属していた中央青山監査法人から始まり、案の定、その後、大手監査法人すべてに業務改善の指示が出された。

筆者は、文字通り、業界の末席を汚す身であるが、この事態に対して、バンコク日本人商工会議所の会員企業である日系企業に対し、本当に申し訳ないことであると、お詫びさせて頂きたい。

日本の公認会計士は、最難関の試験とも言われ、一定の信頼を得て、日本の制度として確立していたかのように見えたが、違っていた。地に堕ちたのである。

日本ではここ最近、いろいろ不祥事が起こる。日本でニュースを見ていて驚くのは、深々と頭を下げて謝る場面の多いことである。一体、大半の業界の人間は、正しくやっているのに、一部のもののお蔭で、業界全体が悪く見られて甚だ迷惑だ、といった論調をよく見うけるが、わが業界に限って言えば、これははっきりいえると思う。そうではない、一事が万事なのだ。

平気で監査のクライアントになるよう懇請する有様は、本来、会計士監査になじむべきものではない。明らかに病理である。その治癒には莫大な時間を要するであろうし、もしかしたら、不可能かもしれないと、悲観しているのは、僕一人ではあるまい、と思っている。

ここタイでは、いまだに監査法人という概念を持たないでいる。従って、会計事務所の属していても、監査人は、一義的にタイの公認会計士個人なのである。監査という行為は、極めて個人的な作業である。したがって、「自然人の一身専属的な資格であり権限である(10)」。それはちょうど会社の取締役に法人がなれないのと同じである。こういった理由で、実は日本でも昭和41年の公認会計士法改正まで監査法人という概念がなかった。今、会計事務所業は、世界的に英米の独壇場となっている。その点、依然として監査法人概念の導入に反対しているのは、外交がうまいと賞賛されるタイの面目躍如といったところではないかと思っている(11)。

さて、そもそもタイでは公認会計士個人が監査を行う体裁であることからも、日本の親会社の監査法人変更の影響が、タイにおいては、法定として求められるわけではないことがわかるであろう。会計事務所は大きくグループ化されてきているのは周知の事実である。ここで、親会社の使用する監査法人の属するグループと同じグループのタイの会計事務所を使うかは、むしろ心象の問題又は親子会社内部の方針に過ぎない。

慌てて変えてもよいし、慌てなくてもよいと私見する次第である。

実は、本年、7月13日をもって、筆者の属する会計事務所も、借りていたタイワータワー2が全面ホテルにするとのことで、同じサトーン路地域ではあるが、コンベントのQハウスに移転した。今、タイワーの事務所は、引越しのため、机も部屋もなくなって、もぬけの殻である。五味先生ご夫妻がこのタイワーの事務所に寄られたとき、どの道でホテルに帰っていただくのが一番早いだろうか、といった些細なことで、スタッフ皆で大騒ぎしたのが夢のようだ。名状し難い気分はいまだに消えない。五味先生のご冥福をお祈りする次第である。

(形部直道 公認会計士(日本国))(2006年記す)

脚注

  1. 当時(1987年ころ)の在タイ日本大使は木内昭胤氏であり、五味氏とは大学時代のクラスメートであったこともある。私事になるが、木内氏は筆者の尊敬する経済学者故木内信胤氏の甥であったかと思う。
  2. 『1938年(仏暦2481年)歳入法典第70条の2』と規定があるが(議定書5項)、これは、歳入法典自体について1938年発効のものという意味で、1938年時に規定されている歳入法典第70条の2(1938年時の第70条の2)という意味ではないと解される。よって、新日タイ租税条約締結以後、当該条文は「追い掛け課税」が拡大する体裁で改訂されており、議定書の効果で、この改訂後の歳入法典第70条の2の効力が、当然にして及ぶのかという問題が生じてる嫌いがある。
  3. 「と思われるような」と記したのは、帰属主義が定立された後、居住地国課税権と源泉地国課税権に分別して国際課税を考えるのには、無理があるためである。
  4. 2006年現在、免税恩典のみでなく、正確には減税恩典もある。ここでは、話しを簡単にするために、免税恩典として進めている。
  5. これらの税率は、2006年現在のものであり、日タイ租税条約改定時とは、税率が異なっている。
  6. みなし外税控除は、ここで触れている投資奨励法のほか、租税条約の軽減措置を起因とする場合にも機能するが、現在、タイの国内法での限度税率が低減されたため、原則的に適用がなく、ここでは、言及していない。
  7. 「等」としたのは、他のケースがあるからだが、ここでは省略する。
  8. ここにあげた諸氏のうち、パナス氏以外はすでに物故されている。
  9. SGATAR(Study Group on Asian Tax Administration and Research)。アジア税務長官会議と邦訳される。
  10. 新会計監査詳説(全訂版)日下部與市著107ページより引用
  11. 監査法(仏暦2505年、西暦1962年)が2004年に全面改訂されている。そこでは、監査に係る損害賠償責任については、その公認会計士が会計事務所に属している場合、会計事務所の連帯責任が明文化されていて、会計事務所の監査における責務が法定された点、監査法人といった体裁に近くなったといえる。しかし、依然として一義的な責任は依然個人にあり、会計事務所自体の名称でタイの法定監査ができるものではない。

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