日本人会計士の国際化


~バンコクでの観察次第

日本人会計士の国際化

グローバル化。どうにも厄介な言葉ですが、これが、無闇に進んだことは間違いのないことです。最近の「サブプライム・ローン」に始まる世界的不況は、これを見事に裏付けたものと言って良い。ここタイにも、1990年以後、驚く速度で日系企業が進出してきました。

その結果、日本国内の空洞化が問題とされるでしょうし、よく言えば、確かに、日本の企業の国際的競争力は存在している、とも言えるのでしょう。

了解していただきたいのは、この日系企業のグローバル化には、実は会計士や辯護士といった日本の有資格者が、ほとんど、機能していないと思われる点です。実にJETROはすでにその役目が終わったのではないか、とか、護られ過ぎて国際化が進まない邦銀、といった論調は、日本語のマスコミにしばしば登場する概念です。しかし、国家資格の代表といわれる我々専門家が、これらにも増して、グロール化が遅れていることは、存外、知られていないことと思います。

これもあまり指摘されないことですが、時代によって可変的である日本の抱える不良債権、その一定程度が、海外で生じていると思われます。タイでも、たとえば、合弁契約の失敗に起因して、不良債権を抱える」といった事態が多く見られます。さて、その一端は、海外で開業する又は駐在する辯護士や公認会計士等のコンサルタントにも、その責任があるのではないか。

海外で日本語をうまく操る専門家は、実は、ものの役に立ってはいないのではないかと、怪しまれます。実際、尤もらしい顔で講演している日本人の専門家を見るにつけ、もし、論じられている事柄のタイ人専門家、たとえば、移転価格税制の話題であれば、歳入局法務部の人間で日本語の堪能な者がいたらどんなことになるだろう、と想像すると、心細い限りなのであります。

専門家として海外で暮らしていくためには、責任を問われるような状況に対して注意深くなるという属性を身につけることが先決とばかりに、相変わらず偉そうな振りで平気のようです。

10年以上も前のことでしょうか、商工会議所に文句を言って何の得があるのかと、助言してくれた日本人辯護士がいましたが、それでは訊くが、君は損得で司法試験を受けたのかと尋ねると、我らの人間関係はそれで終わりました。

海外で開業する際に大事なのは、何よりもクライアントを紹介してくれる彼ら公的?機関であるといって媚びるに多忙な専門家は、勉強は試験に受かれば終わりと合点して疑いません。

たとえば駐在する日本人会計士は、実際のところ、権限を持ちえないのが普通です。一体、会計監査の世界で、日本の会計士のノウハウを求めているという話しは寡聞にして聞かぬ。権限がなくて当然でしょう。日本人会計士は、外国では商圏を持ってきてくれる存在である点に、意義を持つものです。ですから、駐在会計士は、上司の欧米人の機嫌を伺うため、とにかくクライントの数を増やして売上を増やしたいと考えるのは尤もなことで、これは、何もタイに限ったことではありません。

専門家の条件は先ずは知識である、といって反対する人は先ずおりますまい。そして、理解力。つまりは媚びる能力では断じてない。この知識力や理解力は、IQに依存するとはいいきれぬ。むしろ、真心に依存する。何も格別な宗教的なことを申しているのでは有りません。

弊事務所が一流の仕事ができてきたとすれば、それは「誠実」であったからである、と思います。そして、もう一つ。優秀で心の良いタイ人は弊事務所にたくさんいるのです。

さて、タイに投資するならば、タイを理解しようと努め、好きになることが何よりも肝心と察します。

間違いないでください。筆者はビジネスのことを言っています。しかし、どういった料簡か、タイ人を見下している日本人が、タイの制度を簡単に批判して恥じないのも事実です。公的資金を得ても自分は無関係と任じて厚顔にして恥じないのと同様なのか、と怪訝に見えます。

雑然とした話しになり恐縮です。

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